ぼくの詳しいプロフィール

 

どうもこんにちは、たかはん ( @tkhnjp ) です。

生まれてから今までのことを、ここに書いておきます。ぜひ読んでください。

 

生まれてから高校を卒業するまで

 

幼稚園に通っていた時の記憶はほとんどありません。でも、ハワイに行ったことだけは覚えています。

幼稚園を卒園した日か小学校に入学した日、どちらかは忘れてしまいましたが、何かの式があった日にそそくさと1人で家に帰ったらめちゃくちゃ怒られたことを覚えています。あの日に家で食べたラーメンを、ぼくはずっと忘れることができません。

 

とても静かだった小学校時代

 

ぼくは昔からとても静かな子だったと聞いています。小学校時代の思い出はほとんどありません。

小学6年の修学旅行の時、旅館で友だちと徹夜したら次の日にかまぼこ工場で倒れたことくらいでしょうか。友だちは平気だったのにぼくだけ倒れました。

地元に帰ってきたら担任の先生が家の人に事情を説明していました。本当にご迷惑をおかけしました。

 

小学6年の時、キーボードを始めました。以前持っていたおもちゃのキーボードが壊れてしまったので、ちょっといいキーボードを買ってもらいました。

趣味でやっていたので、結局一度もピアノ教室に通いませんでした。自分の好きな時に好きな曲を好きなだけ弾く、ぼくはキーボードに夢中になりました。

 

卓球とピアノに夢中だった中学校時代

 

ぼくは昔から卓球が好きだったので、中学校での部活は卓球部にしました。部活というより同好会みたいな感じで、勝ち負けより「楽しいからやる」という雰囲気のある部活でした。

卓球はパワーではなく回転、ぼくはそう思っています。経験者と打ったことがある方ならわかるかもしれませんが、強い回転のかかったサーブはまっすぐ返そうと思っても全然違う方向に飛んでいってしまいます。

 

また同時に、ピアノにも夢中になりました。

中学校の教室にはキーボードがあったので、ぼくは昼休みなどによく弾いて遊んでいました。偶然ぼくの友だちにもキーボードが好きな人がいて、一緒に弾いたりもしていました。

次第に「ちょっと教えてよ」といった感じで、キーボードを通してコミュニケーションが生まれました。

中学2年の時、担任の先生から「3年生を送る会で伴奏をしてみないか」と声をかけていただきました。

ぼくは独学でやっていて知識もなかったので自信はありませんでしたが、いただいたチャンスを無駄にしないためにやってみることにしました。

本番のことはほとんど覚えていません。きっとたくさんミスをしたと思います。でも、最後まで弾くことができました。

 

3年生を送る会で伴奏をしたことで、いろいろな人にピアノが弾ける人だと知られました。

それが関係してか中学3年の時、ぼくは合唱コンクールで伴奏をしました。中学最後の合唱コンクール、人それぞれ強い思いで臨むはずです。

「ぼくみたいな人がやっていいのか」と悩んだし、ぼくよりうまい人がクラスにいたのですが、その人が断ったためぼくがやることになりました。

 

合唱コンクールの伴奏はかなり責任が重いと思ったので、家に帰ってたくさん練習するようになりました。そしてこの時、家のキーボードが電子ピアノになりました。

合唱コンクール本番のことはあまり覚えていません。たくさんの人の前で伴奏をする緊張で、左足がずっと震えていました。ペダルを踏む方の右足も震えていたかもしれません。

前回と同じようにたくさんミスをしたと思いますが、最後まで弾くことができました。

 

思い出したのですが、この時期にぼくの周りでアメーバブログが流行りました。

ぼくとぼくの周りの数人という狭いコミュニティでしたが、それぞれがアメブロに今日あったことなどを書いて、お互いにコメントしたりしていました。

合唱コンクールのリハーサルがあった日の夜、そのことを書いたら当時好きだった人から「うまかったよ」というコメントがきてとても嬉しかったことを思い出しました。

 

中学3年になって、ぼくは塾に通うようになりました。当時のぼくの勉強に対するモチベーションはかなり低く、塾に行く前に昼寝をしたりしていました。当然落ちたので、ぼくは私立高校に通うことになりました。

 

最後に猛烈な追い込みをかけた高校時代

 

部活に入ってはいたのですが週に2回しかなかったため、高校には勉強をするために行っていたようなものです。

高校は少し遠い場所にあったため、電車で通うことになりました。中学校が家からとても近かっただけに、最初は「高校は遠いですな〜」なんて思っていました。少しずつ電車で通うことにも慣れて、ぼくの行動範囲が広くなりました。

 

ぼくは高校に入学した時から行きたい大学が決まっていました。決まっていたのですが全然学力が伴っていなくて、入学当初は「夢のまた夢」という感じでした。

それは高校2年の終わりまで続いて、そろそろ本格的に受験勉強を始める時期になって「これはまずい」と思って次第に勉強するようになりました。

勉強を始めればすぐに成績にあらわれるということもなく、高校3年の秋になってもE判定のままでした。

担任の先生からは何度も志望校の変更を勧められましたが、ぼくはそのアドバイスを受け入れることができませんでした。

妥協して大学に入ったら絶対に後悔すると思ったからです。大学がこれからの人生にとても大きな影響を与えることは知っていたので、「どこを受けるか」はとても重要な問題です。

「先生にこうした方がいいと言われたから」という理由で志望校を変えるのは、自分の人生に失礼だと思いました。

 

そして「ここに受かりたい」と言っただけで受かる世界ではないので、高校3年の秋からはもっと勉強しました。

朝起きてから夜眠るまで、家にいる時はずっと勉強していました。ぼくは効率を重要視していたので、最も苦手な教科の最も苦手な単元から取りかかっていました。

得意教科の1点も、苦手教科の1点も、どちらも同じ1点です。センター試験では基礎的な知識が求められるので、苦手な科目も必要そうな部分だけつまんで吸収していきました。

 

センター試験本番は、自分でも想像できなかったほどうまくいきました、自己採点の結果「これなら受かる可能性がある」というほどに。秋まではずっとE判定で合格なんて夢のまた夢だったのに、センター試験を終えてみたら手の届く場所に来ていました。

そしてこの時ぼくは、ぼくがした努力は無駄ではなかったことに気づきました。センター試験が終わってから二次試験の本番までのおよそ1ヶ月、ぼくはとにかく数学と物理の問題を解いていました。

 

二次試験の日、ぼくは風邪を引きました。風邪によってメンタルが崩れて、試験中に何度も「もう終わった」と思いました。この数ヶ月の受験勉強のこと、後期試験のこと、私立大学のこと、たくさんのことが頭をよぎりました。

 

合格発表の日、ぼくは家でパソコンを開いていました。合格発表を見るためです。絶対に落ちたと思っていたので、大学には行かずに家で結果を見ることにしました。

合格発表のページを見て、ぼくは自分の目を疑いました。自分の番号があったのです。ぼくは急いで準備をして、大学に行って張り出された紙を見てそこにも自分の番号があることを確認しました。

 

大学に入学してから今まで

 

こうしてぼくはずっと行きたかった大学に入学できたのですが、なぜかぼくの心はモヤモヤしていました。そのモヤモヤの正体は「高校の時にイメージしていた大学と実際の大学とのギャップ」でした。

 

ぼくが高校の時にイメージしていた大学は、「自分の知りたいことを知るための場所」という感じでした。でも実際に行ってみたら「就職のためのステップ」という意味合いが強いように思ってしまいました。

就職するために単位を取る場所、それが大学という場所なのかもしれません。

 

家を飛び出して1週間くらい東京を放浪

 

大学に入学して感じたギャップを拭うことができず、そしてそれ以外の事情が重なって、ぼくは大学1年の夏に家を飛び出して東京を放浪しました。

2015年8月31日、あの日のことをぼくは一生忘れないでしょう。あの時のぼくは本気で「今すぐここから逃げないと心が壊れる」「逃げた先のことは逃げてから考えよう」と思っていました。

あの時のぼくが逃げるという行動をしていなかったら、今のぼくは存在していなかったかもしれません。

 

東京での1週間はとても激しい日々でした。最初の1日は楽しかったのですが、少しずつ嫌になってきました。

漫画喫茶で泣いた夜もありました、マックで朝を待ったこともありました。あの時のいろいろなことが、今でもぼくの心に深く刻み込まれています。

 

母校での講演会で100人の高校生の前で話した

 

大学2年の終わりに高校時代の担任の先生から連絡があって、「高校3年向けの講演会があるから出てみないか」ということでした。

人前で話したことなどなかったし、うまくできるか不安だったのですが、その連絡の電話ですぐに「やります」と言いました。

「やります」と言ってしまったので、やらないわけにはいきません。Keynoteを使ってプレゼンを作って、Evernoteを使って原稿を書きました。

 

1ヶ月後くらいの講演会の当日、会場に入ったら目の前に本当に100人の高校生がいて圧倒されました。ぼくを合わせて5人の卒業生が講演をしたのですが、それぞれが自分の伝えたいことを伝えていてぼくも夢中になって聞きました。

ぼくは大学に行く目的と受験勉強の進め方を中心に話を進めました。問題なくできたのですが、ずっと原稿を見ながら話していたことは反省したい点です。

もし次にこのようなチャンスがあったら、もっと前を向いて謙虚に堂々とプレゼンをしたいと思います、スティーブ・ジョブズのように。

 

何かを発信したいという気持ち

 

ぼくはTwitter、Instagram、そしてこのTAKALOGで発信活動をしています。ぼくが発信活動をする理由は3つあります。

 

まず、自分の思考・体験を整理するためです。「今日考えたこと」「今日やったこと」などを言葉にすることで、それが整理されて記録に残ります。自分の思考の変化や行動の記録などを、いつでも簡単に振り返ることができます。

 

次に、誰かの役に立つ可能性があるからです。ぼくにとっての当たり前は、誰かにとっての当たり前ではないかもしれません。

ぼくにとっての普通が、多くの人にとって普通ではないかもしれません。ぼくが持っている知識・経験を発信することで、それが読んだ誰かの手助けになる可能性があります。

 

最後に、シンプルに楽しいからです。ぼくは根っからの理系ですが、文章を書くことも大好きです。昔からほとんど本を読みませんでしたが、なぜか文章をスムーズに思い浮かべることができます。

 

ぼくは自分のことを、アーティストだと思っています。ぼくは自分という人間の人生を、言葉にすることで表現しています。そして同時に、みなさんのこともアーティストだと思っています。絵や音楽がうまい人だけがアーティストではないと思います。

「今日あったこと」「今日感じたこと」「自分の好きなこと」何でもいいので、それらを自分の好きなツールを使って表現して世界に向けて発信する人たち、ぼくはそういう人たちをみんなアーティストだと思っています。

 

自分の人生と真剣に向き合う

 

ぼくは高校を卒業するまで、何も考えずに生きていました。ただ漠然と毎日を過ごしていました。

 

でも、今は違う。

 

ぼくは大学に入学してそのギャップを感じて家を飛び出してから、インターネットを通して今まで触れたことがない価値観と触れてきました。

今まで家と学校だけが世界のすべてだったぼくが、インターネットを通して日本・世界の多種多様な人・社会・文化・価値観に触れるようになりました。

「こういう考え方もあるのか」「こういう生き方もあるのか」と驚きの毎日です。昔と今では、見えている世界が違います。

 

そして自分で「なぜ生まれてきたのか」「何のために生きるのか」を考えるようになりました。このような問いに答えはないのかもしれません、考えるのは無駄なことなのかもしれません。

でもぼくは考えました。そして、「それは自分が決めていい」という結論が出ました。自分の人生なのだから、生きる意味は自分自身が決めていいのではないでしょうか。

 

でもぼくはまだ、自分の生きる意味を探している途中です。「生きる意味を探すために生きている」といってもいいかもしれません。でもその毎日が、とても輝いているように思えるのです。「生きる目的とは何か」「なぜ生まれてきたのか」を考える過程はとても有意義です。

その過程の中で新たな発見があります。行ったことがない場所に行ったり、会ったことがない人に会ったり、やったことがないことをやったり…

毎日の生活の中で、ぼくの世界は少しずつ広がっています。

 

死ぬ時に何かを後悔したくない

 

多くの人が「死ぬ時に後悔したくない」と思っていると思います。ぼくも同じです。でも「人生は一度きり」だと頭ではわかっているのに、挑戦を避けて安定を選んでいる人もいるのではないでしょうか。

あなたの人生の主人公は、あなたです。もっと世界を楽しみましょう。

 

最後まで読んでくれた方たちへ

 

およそ5,500字にわたるぼくのプロフィール記事を読んでくれた方、本当にありがとうございます。

ぼくはこれからも発信活動を続けるので、少しでもぼくに対して興味を持ってくれた方はぼくのTwitterなどをフォローしてみてください。

 

ぼくのTwitterは こちら です。TAKALOGの更新情報以外にも、日常のちょっとしたつぶやきなども載せています。

最後までありがとうございました。

 

2018年1月1日

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