どうもこんにちは、たかはん ( @tkhnjp ) です。
今日は「積み重ねたい気持ち」と「リセットしたい気持ち」という相反する気持ちがせめぎ合っていることについて書こうと思います。
相反する2つの感情
たまに今まで積み重ねてきたものを、一度全部消してリセットしたくなることがあります。といってもリセットの対象は「人生」などの大きなものではなく、Twitterの投稿とかTAKALOGの記事とかそういうちょっとしたものです。
ある程度の期間を過ぎると、少しずつ統一感がなくなってきます。主張にズレが生じることがあります。それらを一度すべてリセットして、また新しく最初から始めたいと思う時があるのです。
どんなものだって当時の自分が納得した状態で出したはずなのに、時間が経つとそれに納得できなくなってしまうのはどうしてなのでしょうか。
思えばぼくは、以前よくTwitterのアカウントを変えていました。アカウントなんて滅多に変えないのが一般的ですが、ぼくは何かを感じて頻繁に変えていました。何が嫌だったのでしょうか。
ぼくはきっと少し完璧主義なのだと思います。「適当でいい」みたいな考え方ができません。「100か0か」のような判断基準があって「納得できないものを残しておくくらいなら全部消してしまう」という感じです。
ぼくの人生は完璧とはほど遠いのですが、ことSNSに関してはかなりの完璧さを求めてしまいます。たまに「たかがSNSになぜ頭を悩ませるのか」と困ってしまうこともあります。
完璧ではない人生から自分を守るために、それ以外の場所を完璧にして精神を保とうとしているのかもしれません。
実際にやってみたら
ぼくは2017年10月17日に、この感情が限界を超えて実際にリセットしました。少しずつ溜まっていたコップの水がついにコップからあふれた時でした。
1つずつ投稿を消した時、それはとても気持ちのいい感じがしました。でも次第に少しずつ、「虚無感」に襲われるようになったのです。少しずつ積み重ねてきたブロックを、少しずつ少しずつ壊していくような気持ちでした。
そして次に、2017年12月30日にまたリセットして、2018年1月1日から再スタートするということをしました。ぼく個人としてはこれには明確な理由があって、「iPhone Xを買ったから」という理由です。
またこのTAKALOGを始めたのが2017年1月1日なので、そのちょうど1年後に再スタートを切りたいという思いもありました。2017年の1年間の経験で、2017年1月1日当時よりもある程度は高いクオリティのものを生産できるようになったと感じています。
ただ…
確かに一度整理して整った状態になったのですが、その代償として失った今までの積み重ねは大きな虚無感を生み出しました。ぼくはこの一連の流れに、ある種の「傲慢さ」を感じました。「くさいものにふたをする」ような感じです。
今は納得できていないそれだって、昔の自分が丹精込めて作ったものなのです。消したブログ記事だって、当時の自分がたくさん考えて作り出した財産なのです。
この世に完璧なんて存在しません。完璧に見えるものも、完璧に見えないものも、すべてを残しておく。それがきっと本来の意味での「人生の積み重ね」だと思うのです。
きっとぼくはまた、どこかのタイミングで「すべてを消したい」と思うのでしょう。深く考えて書いたこの記事だって、いつか「これは完全に駄作だ」と思うのでしょう。
その時ぼくはこう自分に言い聞かせます、「見たくないものを見ろ」と。人生は後戻りできません。嫌な過去を消したり変えたりすることはできないのです。
というわけで2018年1月1日から、Twitter、Instagram、TAKALOG、この3つを新しく始めました。
ぼくはかなり真剣にインフルエンサーになることを目指しています。ぼくの考え方やぼく自身にほんの少しでも魅力を感じたら、SNSでフォローしてみてください。有益でユーモアのある投稿をお届けします。
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