誰かに依存する幸せもある

 

どうもこんにちは、たかはん ( @tkhnjp ) です。

ぼーっと遠くを見つめている時は、何かを考えていることが多いです。静かに考えることが大好きなぼくは、最近こんなことを考えています。

 

「人に依存してはいけない」は真実なのだろうか。

 

依存の言葉としての意味は「他のものに寄りかかり、それによって成り立つこと」です。世の中には「アルコール依存」「ギャンブル依存」などなどいろいろな依存がありますが、今回は依存の対象を人として考えてみたいと思います。

誰かに依存するというのは「あの人がいないと生きていけない…」という状態だと考えているのですが、それは悪いことなのでしょうか。ぼくはそうは思いません。

 

人に依存してはいけない理由として「人は裏切るし変わる」というのがよく挙げられます。しかし「裏切られるのが怖いから依存しない」というのは「車に轢かれるのが怖いから外に出ない」というのと同じように思えてきます。

人はいつ裏切るかわりませんが、それと同じように車もいつ飛び出してくるかわかりません。もしくは「火事が怖いから火を使わない」みたいな。火は火事に気をつければとても価値のあるものです。それと同じように、誰かに依存することも場合によってはとても有意義なことだと思います。

誰かに依存したその先に、何かが待っているなら、自分にとっての幸せがあるなら、それも意味のあることのように感じるのです。

 

ではアルコール依存などに対して、誰かに依存することは果たして”問題”なのでしょうか。それによって誰かが被害を被っているのでしょうか。あるとすれば依存先、「依存されている側」です。

ぼくは誰にどう思われているかをあまり気にしないのですが、人によっては「依存されていること」に何らかの重みを感じることもあると思います。

依存されることに重みを感じて、結果としてそこから離れようとする。たとえば「恋人が重すぎて別れたい」みたいな。依存した結果、離れていってしまうこともあります。

 

そう考えた場合、「依存したいならなるべく依存しない」というのが得策にも思えてきます。そうなると、やはり「人に依存するべきではない」のかもしれません。

もしくは「悟られないように依存する」とか。認知されていない事実は存在しないも同然なので、これなら相手に影響もなく問題ないはずです。

 

もしすべてを失ったら、まず最初に人を求めると思います。何かひとつだけ残すことができるなら、お金より人を選ぶと思います。少なくともぼくはそうです。これは「人に依存している」と等価なのではないでしょうか。

しかし依存するからには、過度に期待せず見返りを求めないという点を強く意識するべきだと思います。もしそれがあると相手は負担を感じていずれ去っていこうとするからです。

 

そしてそれと同時に「傷つく覚悟」も持っておくべきです。ぼくはこれをとても意識していて、何かに依存する時はいつもそれを失う覚悟を持ってきました。勝手に依存したなら、裏切られた時も勝手に傷つく。これがこの世のルールだと考えています。

 

誰かに依存する。裏切られるかもしれない、失うかもしれない。でも、それでいい。これが「本当の愛」なのではないでしょうか。

 

いろいろ考えましたが、一定の結論が出ませんでした。まるでグランディ級数のよう。しかし、答えのない問いこそ考える意味があるのです。それが生きるということです。

 

 

 

というようなことを、近所の野良猫が言っていました。

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